時間の習俗
2008/11/24 月曜日 – 12:28:41
書名:時間の習俗 (新潮文庫)
著者:松本清張
自分史を作成するうえで、市販の書籍は参考になります。
市販の書籍は、プロの作家がプロの編集者と二人三脚で出版した本ですから、自分史作成の基本要素である、テーマ・題材・構成・文章表現、いずれも自分史を実際に作成するときのお手本になるに違いありません。
自分の知識と経験を綴るカタチの自分史を作成するときも参考文献は必要です。
ここではわたしが読んだ本を感想文のカタチで紹介します。自分史を作成する際の参考情報になれば幸いです。
松本清張の点と線に出てくる三原警部補と鳥飼刑事のコンビによる、アリバイ崩しの推理小説だ。
点と線同様に、三原警部がまず犯人の目星をつけ、執拗に追っていく。
犯人には鉄壁と思われるアリバイがあり、その「鉄壁さ」に三原警部補が怪しさを感じるのだ。
小説の中の出来事にあれこれ考え始めるのは、その小説が面白いからなのだけど、
あんなに知恵を巡らす犯人なのだから、完璧すぎるアリバイは不自然ということに気づかないのだろうか?
用意周到なのはわかるけれど、園までアリバイを計画した時点で「自然さ」という観点で自己チェックしないものなのだろうか?
まあ、自然なところまでアリバイにスキを作ってしまうと、三原警部補が怪しさを感じなくなってしまい、アリバイ崩しができなくなってしまうけど。
さて、この「時間の習俗」の完成度だが、アリバイ崩しの推理小説なので、犯人の殺害動機やストーリー展開に付いてごちゃごちゃ言ってはいけない。という完成度だ。
アリバイ崩しも読み終えてしまえば「なーんだ」ということなのだが、読み進んでいるうちは、「ははーん、そうなのか」と三原警部補の冴えに感心してしまう。
最後までわからないのが「時間の習俗」の意味するもの。
習俗とは習わしなのだが、時間の習わし、時間の習慣。
時刻の推移に引きずり回される先入観に三原警部補が立ち向かったということなのだろうか?