岐路に立つ同人誌 「文学界」での「評」打ち切りに

2008/11/11 火曜日 – 6:29:30

半世紀以上にわたり全国の同人誌に掲載された小説を取り上げてきた「文学界」(文藝春秋)の名物欄「同人雑誌評」が7日発売の12月号で打ちきりとなった。
文芸誌の中で同人誌を定期的に紹介していたのは「文学界」が唯一でかつては多くの作家が輩出した同人誌の役割が岐路に立たされている。朝日新聞朝刊より

自分史を作成するときに多ければ多いほど心強いものは持ちネタ(題材)です。
読んでおもしろい、チョイ上の自分史を作成しようと思ったら、持ちネタはため込んでおくに限るのです。
ここでは、自分史作成時のネタ集めの一例として、ニュースを元に思い返す出来事を書いていきます。
ああ、こんな感じなら私でもネタを集められる、この話なら自分にも思い出すことがある、などのように皆様のネタ集め(自分史作成準備作業)に参考になればと思います。

同人誌も高齢化社会を迎えているそうだ。文学界に寄せられる同人誌も減っているらしい。

この同人雑誌評が重要な要素になっている推理小説がある。
松本清張の「渡された場面 (新潮文庫)」だ。

推理小説なので筋は書かないが、この渡された場面を読むと、どうやら松本清張はアマチュア作家が嫌いらしい。

そこまでぼろくそにいわなくてもいいのに、とぼくは思った。
なぜなら、ぼくも高校時代に同人雑誌を発行していたのだ。

「文学界」では打ち切りだが、三田文学(慶應義塾大学出版会)が、これを引き継ぐ形で同人雑誌評を掲載するそうだ。

チョイ上の自分史わたし本なら文研ビズ

  1. One Response to “岐路に立つ同人誌 「文学界」での「評」打ち切りに”

  2. 読書するには、その読み方が三通りあると聞く。 一つは、ただストーリーだけを追って読む。 二つには、時代的背景、社会情勢を考えながら読む。 三には、作者の思想、意図など、作者自身の人間を、洞察して読む。なかでも、とくに大事なのは三番目で、そうでないと、作品を十分に理解することはできない。 すべての著作は、これを読む人との対話であり、著者と読者との共同作品でもあると、自分は思う。

    By 智太郎 on 11月 11, 2008

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