「記憶にない」の一手
2009/3/10 火曜日 – 8:41:59自民党への捜査波及に言及したのか否か。
漆間官房副長官の9日の記者会見は、オフレコ懇談の内容をめぐる、記者団と漆間氏との激しいやりとりとなった。朝日新聞朝刊より
自分史を書くときに多ければ多いほど心強いものは持ちネタ(題材)です。
読んでおもしろい、チョイ上の自分史を作成しようと思ったら、持ちネタはため込んでおくに限るのです。
ここでは、自分史作成時のネタ集めの一例として、ニュースを元に思い返す出来事を書いていきます。
ああ、こんな感じなら私でもネタを集められる、この話なら自分にも思い出すことがある、などのように皆様のネタ集め(自分史作成準備作業)に参考になればと思います。
漆間さんも、言った言わないの説明でなく、「(検察からの情報なしに)憶測でものを言いました」と言えばすんだのではなかろうか?
「記憶にない」といえば、
1976年2月の衆議院予算委員会での小佐野賢治氏の証人喚問で言った台詞。
これ以降、否定すると偽証になるときの決まり文句だ。
でも、ぼくが覚えているのはもう一つある。
それは「刎頸の交わり」当時は「刎頸の友」と伝わったと思う。
竹馬の友なら知っていたが、刎頸の交わりは知らなかった。
辞書によると、「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」だそうだ。
小佐野賢治と田中角栄の間柄だ。
昔の人は、こういうときに、学のある言葉を使ったのだ。