脚色はどこまで許されるのか
2008/8/13 水曜日 – 9:26:08例えば、自分史のように過去のことを書くとします。
だいたい覚えているんだけれど、具体的に細かい部分となると覚えていないこともあるかと思います。
自分史を作成するうえで、文章作成はメインの作業です。
うまい文章やわかりやすい文章は、文才に恵まれた人だけの特権だと思っていませんか?
もちろん文才に恵まれた人は、うまい文章やわかりやすい文章を書くことができます。
でも、特に文才がなくたって、十分にうまい文章やわかりやすい文章を書くことはできるんです。
ここでは、そのちょっとしたコツを1つずつ紹介していきます。
例えば、転校生がやってきて、席が隣になったのをきっかけに仲良くなったことは覚えているけど、最初の会話の内容は覚えていないとか。
そのときのようすを生き生きと表現するには、どうしても会話文を入れたいところです。
そんなときは、脚色しましょう。
当時の状況をできるだけ思い出して、きっとこんな会話をしたに違いない、ということを書いても良いのです。
あなたの思い出の中での真実なのですから。
出来事としての事実は1つしかありません。
しかし、真実は人の心の数だけあるのです。
もちろん、ウソと脚色はまったく違います。
校内マラソン大会に、参加賞をもらっただけなのに、「優勝した」というようなことは、脚色でなくウソです。
こういうのはよくありません。